私は倫理に出会うまで道に迷っていました。
今はWEB制作会社とネイルサロンを経営、もう12期になりますが、そこに至るまでは迷い続けていました。

倫理との出会いと再生をお話しします。

小さい頃は暗いとも言われ、静かな子どもでした。
小5から中3までいじめにあい、最初は無視程度でしたがだんだんエスカレート、画鋲がまかれたり持ち物紛失は日常茶飯事でした。
友達もいないので勉強しかすることがなく、毎日勉強をしていたら、日比谷高校に入れました。

自由な校風の学校でしたが、日比谷クラスになると勉強しなくてもできる人もいて、そういうひとに勝てないこともよくわかり、勉強からはドロップアウトしました。
自律神経失調症を患ったのもその頃で、怠けていたわけではないのですが、体調のすぐれない日々が続きました。

PCは小さいころからいじっており、当時としてはとても早かったと思います。
大学に何とか滑り込みましたが、入学が決まった時に、初めて自分のHPをつくりました。1998年でした。
その時は個人のページを持つ人がめったにいなくて注目され、nifty提供のラジオ番組にも出ました。
それがきっかけでいくつかレギュラー番組を持つ事になりました。
ラジオパーソナリティ歴は結構長いです。

大学2年の時に選挙事務所の手伝いをし、それは今でいうネット選挙の走りでしたが、自分の得意なことで評価されるって楽しい、仕事って楽しいと初めて思いました。
それがご縁である不動産屋さんに声をかけてもらい、行くと、取締役になっていました。
猫も杓子もITという時期で、経営不振をITでテコ入れしようということだったようです。
会社の役員でITを分かっている人は誰もいなかったので、とにかくやらねばとがむしゃらにやりましたが、途中で資金ショートしプロジェクトは終了、大学に戻りました。
その時に、経営って面白い、と思いました。
決まった答えがない、ということはこんなに面白いことかと思ったのです。

その後、妊娠が分かって学生結婚、出産。
子育てをしていると社会とのつながりを失いがちですが、HP制作の仕事を続けました。
主婦の片手間と思われ、かなり安く仕事を受けていました。
見かねた夫が休眠会社を買収し、私はそこの社長になっていました。
会社には理念と方針と計画が必要ですが、そういうものはなく、ただひたすら仕事をこなすだけでした。
会社は1年でつぶれました。

経理は夫にすべて任せていたのですが、従業員の給料は、消費者金融からの借金で回しており、会社がつぶれたと同時に夫は自己破産しました。
夫はうつ病となり、うつの薬と酒を合わせて飲んで三日三晩意識が戻らず、という事態でした。
消費者金融で綱渡りしていたことは薄々感づいていたのですが、後で調べると帳簿も二重で、やくざから返済の電話が入るは、子供を抱えて仕事はしないといけないは、お金はないはと、「生きていてもしょうがない」と思いました。
自殺を図ろうとした瞬間に携帯が鳴り、相手に事情を説明して相談したところ「離婚すればいいし、破産すればいいし、倒産すればいい」と言われて、そうかそういう選択肢があるのかと思いました。
過労死の人も多いですが、実は追い詰められた人は、そこから逃げるという選択肢を思いつきにくいのではないかと思います。
周りの人が「こうすればいい」と提示してあげるだけで、はっと気づく人、戻る人もいるのではと思います。
私はそうやって死なずに戻ってきました。

母子家庭になりました。
それまでは社長でしたが、社長と言われることで自分に実力があると錯覚していた面もあったと思います。
お客様がいるから仕事をできていた、ということに、「倒産しまして」と伝えたら「でもうちの仕事は個人で続けてもらえるんだよね」と言われて初めて、気が付きました。
一度捨てた人生、痛い目も見てきましたが、恩返しをしたいとボランティア(目黒区)を始めました。
倫理もハイの実践で言われたことを受けている内に、32歳で会長を拝命、3年やりました。
まだ最年少快調記録は破られていないと思います。

倫理では、順序が大事、順序を守ることが実践の第一歩ということをつくづくと学びました。
1番は横の線の「夫婦愛和」です。
2番に縦の線の親祖先が来ます。

娘が不登校になり、ボランティアや会の活動などを20もしていたのですが、そのことに悩みました。
小学校の終わりの事でした。
悩んだ挙句に娘の不登校が会社や社員よりも大事だと思い至りました。
倫理研究所の『子が変わる』を読み、なんだ、親が変わらないと子は変わらないのだ、ということも思い至りました。
そこで家庭倫理の会に100日通う100日実践をしました。
最初の1か月が過ぎるころは「ここまでやっているのだから、早く学校に行ってくれ」と思っていましたが、そう思ううちはまだまだです。
そうしましたら、90日目で娘が突然「明日から学校に行く」と言い出し、その後はずっと通ってくれています。

倫理は実践なしには意味がありません。
靴を揃える、毎日起きたら親のいる方向に向かって感謝の言葉を述べる、などの何かしらの実践が重要です。
(できることをやっても意味がないので、出来ないことをやるのが実践です)

実践と言ってもレールに単純に乗っかるのではなく、正しい筋道を行う事です。
それはそんなに難しいことではありません。
100という数字はとても大事、徹底的にやるという意味で、100の実践です。

仕事の報酬は喜び。
まずは倫理指導を受け、勉強し、実践していきましょう。
そして、油断せず、地道に継続していくことが大事と思っています。

【講師】
目黒区倫理法人会副会長 / 東京都レクチャラー 株式会社オフィスコトウ代表取締役
コトウ ユウキ 氏

【講師プロフィール】
4歳からMSXとPC-8801に触れ、10歳頃には見よう見まねでBASICのプログラムを書いていた生粋のパソコンオタク。10歳からは亡父に絵画の英才教育を受け、デッサン漬けの日々を送り、12歳より創作活動(文章・詩・絵画)にのめり込む。18歳で個人サイトを開設し、詩人、ネットアイドル、Webデザイナー、ライター、ラジオパーソナリティなどの肩書きで活動。22歳で脱詩人宣言を発表。はなまるマーケット出演時にはテロップにスイーツ&フードテーマパークの達人と書いてありました。近年は目黒区をより良くするために、区民のお役に立ちたいと思って生きています。
最近の関心事は女性一人親家庭の貧困問題、男女平等共同参画とワークライフバランス、不登校・保健室登校、自治体経営全般、都認証保育所のブラック経営問題、区議会の少数会派問題など。

2000年4月  株式会社ガイックス取締役就任
2002年8月  有限会社オレンジボックス設立、代表取締役就任
2003年7月  同社を株式会社に組織変更の後、代表退任
2003年10月 シトロン創業
2006年6月  株式会社オフィスコトウ設立、代表取締役就任
2013年8月  自由が丘にカフェバーMagico開店
2015年11月 自由が丘にサロンMagico.開店

文責:幹事 福田恵美