私のやってきたこと

もともと杉並区西倫理法人会の渡邉監査と、3.11を期にご縁を頂いたことから、本日の講話になりました。

3.11後の大災害、フィリピンの台風被害。私は東京で東日本大震災を経験し、東北復興の活動(漁業再生支援)をしたのですが、3.11の折には世界中から救援/ボランティアに来てくれたことを思い、フィリピン台風災害の折にボランティア駆けつけました。1週間のつもりが1ヶ月になり、気づけばそれ以降何度も訪れることとなりました。

2013年にレイテ島を襲った台風は史上最大級と言われ、瞬間風速が90m、高潮の被害もあり、1万人がなくなったといいます。しかしながら日本のニュースは多くなく、報道格差を感じた災害でもありました。

フィリピンの魅力と夫の後押し

フィリピンの人はなぜこんなに明るくいられるのか?

植民地、戦争、そして貧困と過酷な歴史を辿ってきたフィリピンの人たちは、災害や災難に直面した際に「泣いていても何もかわらない」むしろ目の前の家族に悲しみが伝播することを知っている。ここで敢えて「笑顔」で過ごし、目の前の家族を励ますのが、フィリピン人としてのプライドだと語ってくれました。

夫が背中を押してくれて、フィリピンへボランティアに行きました。私はついつい頭の中であれこれ考えてしまうのですが、何よりまず行ってみることの大事さに気付かされました。夫は倫理の会員でもあり、極限状況でのマラソンなどチャレンジの人です。その夫とのキャッチボールの中からフィリピン行きを決意。一人ではとても出来ないことを、夫が応援してくれるからできるのだと思いました。

日本とフィリピン

レイテ島は第二次世界大戦時の激戦地です。日本兵は戦争末期には島に取り残され、生存率は3%であったといわれます。その歴史は今も影を落としており、そういうことがあったということもよく理解した上でフィリピンに入ることが必要でした。

立て直した小学校の引渡式では、現地の方が、「初めて日本人がやってきた、それがあなただった。(日本人をよく思っていなかったが)日本人は悪くないと思うようになった」と言われ、その言葉の重みを感じました。

第二次世界大戦中の日本人死者250万人のうち、フィリピンで亡くなった人は一番多く、50万人と言われます。また、フィリピン人はマニラの市街戦などで110万人が命を落としたと言われます。そうした歴史の上に(70年前のことではあっても)、今を生きる日本人としての使命を考えさせられました。

災害救援・支援

レイテ島は栃木県くらいの大きさの島で、200万人ほどの人口です。

私はそのレイテ島でも僻地にある被災地で救援活動をしてきました。

日本での災害体験から、日本なら遅くても2、3日で救援物資が来るのですが、フィリピンは8日間来なかった場所もあるそうです。暴動も起こっても不思議ではありません。

最初は緊急支援、次に日常の支援から学校再建などの教育支援へと支援の内容は代わり、最近は小学校へのトイレの寄付やツアーを通じた交流事業をしています。寄付先と寄付してくれる人をつなぐという役割は、幸せな役割だと思います。

最初、現地の人からは私財を投じてでも何度も来る私のことを「山下財宝を探しに来たのか」と訝しむ声もありました。

2年目からは理解してくれる人が増えてきました。

先月現地で大きなお祭りがあり、私を町の養女と認めてくれ洗礼を受けることとなり、親善大使に任命されました。本当に嬉しいことでした。

フィリピンに学ぶ「生きる幸せ」

「Smiling is our pride」(どんなに辛いことがあっても笑顔で乗り越える)

フィリピンの人たちは皆レジリエンス(逆境力、回復力)の達人。しなやかに立ち上がる力を持っています。

「目の前にあることに感謝する」

どんなに大変な状況でも笑顔でいられるのはなぜか?と聞くと、今朝元気におきてこれたこと等、既に満たされていることにフォーカスしているから笑顔なんだと教えてくれました。

「与えることで幸せになる」

ある子どもが、口中の飴を出して半分に割ってハイと差し出してくれたことがあります。自分の持っているものを分け与えるのが当たり前。与えることでその人が満たされる、ということなのです。

「家族!家族!家族!」

あなたの人生で3つ大事なものを上げてくださいと聞くと、「妻と母と子ども」という答えが返ってきたことがありました。家族のつながりをフィリピンの人は何よりも大事にします。それが彼らの原動力です。

仕事づくりへの挑戦

ソーシャルビジネルをやりたいという思いがずっとありました。

寄付などの支援から、現地の人が自力で復興するお手伝いへ、と行動が変わっていき、Yolanda Chips(ヨランダチップス)をつくりました。

「フィリピンレイテ島。

日が降り注ぐ熱帯の肥沃な大地で育った、甘く素朴な味わいのオーガニックバナナを

ココナッツオイルで贅沢に揚げた、手作りバナナチップスです。

2013年フィリピンを襲った、史上最大級の台風「ヨランダ」の

名前を取ったバナナチップス。

台風により仕事を失ったココナッツ農家の女性グループが、持ち前のポジティブな笑顔で

台風に負けじと、生育の早いバナナを代替作物として育て、

彼らの新しい生計の糧としてはじめたオシゴトです。」

ココナッツは成木になるまで7年。バナナは16ヶ月。倒木したココナッツを所有する農家は7年休業状態でした。

バナナチップスを製品化することで現地の女性達を助ける活動です。

(今日もサンプルを持ってきていますので、ぜひ試食してください)

フィリピン支援を通して自分の使命に気付かされた3年間でした。フィリピンの人たちと友情を深め、助け合い、寄り添ってきました。

なぜこんなことをやるのかというと、自分の幼いころのことを思い出します。

私は生まれたときにからだが弱く、長くは生きられないと言われながら救われた命でした。それゆえずっと「人様のお役に立つ」ということを周囲から言われて来ました。それが私の中に染み込んでいるのではないかと思います。

そして、渡邉智恵子さんやその後の多くの出会い、夫の応援で私自身の使命を自覚することが出来、今に至ります。これまでは個人の活動でしたが今年は法人格を取得する予定です。今後ともどうぞ支援をよろしくお願いいたします。

付記)

赤坂友紀さんの行くところに、ご主人の赤坂剛史さんあり。

この日もご主人がバナナチップスのサンプルを100袋持参されていました。

最後はいくらか残ったチップスを総ざらいでお買い上げくださった方があり、完売。

チップスがまたフィリピンと日本の人たちを繋いでいってくれることでしょう。

社会企業家として、使命を自覚され、ご家族の協力を得ながら一歩一歩着実に歩まれている赤坂さんの笑顔が、とても素敵でした。

文責:幹事 福田恵美