山田節子氏「カラダの芯が、ノビをした」というコピーの入った広告からお話しは始まりました。

バブルが弾けた1991年9月、それまで真っ直ぐ前を向いて堂々と歩いていた人々が、急に背を丸めて歩くようになった事に山田さんは気付きます。

皮肉にも同じ年の秋は、信じられないほど紅葉が美しく、その美しい紅葉を見て、自然がどれほど人間に生きる命を与えているか、という事に感じ入ったそうです。

山田さんが大切にしていることは、自然に学ぶこと、そして、今の人々と、歴史を残した人々に学ぶ、過去の歴史が人間たちに繁栄を齎してくれたことへの感謝です。

現在は、日本を含めた世界中のどこかで戦争の足音を感じ、日常が柱を失っていくことへ危機感を持ち、かつて自然に寄り添った日常に、改めて思いを強く致しているそうです。

山田さんのキャリアには「就職」したという事がなく、多摩美術大学を総代で卒業するも、働きたい会社がなく、大学卒業後しばらくして、戦後日本のインダストリアルデザインの確立と発展における最大の功労者、柳宗理氏の書生を務められます。

先の目標が定まらない山田さんに柳氏は「まず、世界を見てから、日本で何をすべきかの気付きを得なさい」と助言されたそうです。

1968年、デザイン界ではヨーロッパとアメリカがすべての手本であり、モダン建築が主流となろうという時代。

単身ヨーロッパへ渡航した山田さんは、サクラダファミリアのあるスペイン・バルセロナを訪れます。

早稲田大学で教授まで務めた建築家、今井兼次氏に建築を学んだ際、モダン建築には眼もくれず、熱くガウディを語る今井氏の言葉に興味を抱いてのことでした。

サクラダファミリアを見て、ガウディの建築がこれからの時代を作るのか?という疑問を持ちつつも、バルセロナの街にあるというガウディによる「家」を見に出かけます。

9月3日モーニングセミナー特徴的な建築だから、すぐに見つけられるだろう、という予想に反しすぐには見つけられません。

それは、ガウディの特徴的な建築ですら、スペインの街に溶け込んでいたためで、その時にスペインの「風土」というものを感じたそうです。

ヨーロッパ各国を訪れる中でそれぞれの国にある「風土」に触れるにつれ、もっと自分の国のことを学ぶべきではないか、戦後の教育は日本のモノを良しとせず、欧米主眼になっている為、自国のことは知っているようで知らない、という事に気づいたそうです。

帰国後1964年に銀座松屋と縁が繋がり、1974年からコーディネーターとして企画提案に携わるようになり、現在に至ります。

当時の松屋銀座は生活文化において、先進的で汎社会的な視座の百貨店でした。

その中で山田さんは、誰もが不可能だという様々なチャレンジを次々成功させます。

初めての企画は、毎日の暮らしを大切にする日本人の食器展、半年かけて日本中の工房、窯元を廻り、飯椀、汁椀、箸、小皿、小鉢、湯呑み100点を集めた展示会です。

カレーライスが子どもの一番人気になる頃、日本の食器を通して、作る心、使う心を伝えたいという想いからでした。

企画の元は、輪島塗の合鹿椀(ごうろくわん)に出会ったことからでした。

輪島塗の高価な合鹿椀は、一年に一度だけ、正月に粥をすするために使われました。

合鹿椀を両掌で捧げ持つことは、食べ物を与えてくれた自然と、作った人への感謝の形を表していると山田さんは考えます。

このように、両掌で椀を捧げ持つという文化は他国にはなく、日本人の自然崇拝から来ているというお話に、日本人の繊細な感性と美しい文化に誇らしさを覚えました。

1980年、玉子は一つ8円という時代に「坊や。これが、本当の玉子だよ」というコピーで一つ48円もする平飼いの玉子を八王子の正直村から100パック仕入れ、見事売り切ります。

その後も、自然栽培の「匂いのあるトマト」やお茶を手掛け好評を博しますが、毎度反対の声が多く上がる中、都度助けてくれる人物が現れたり、当時の銀座松屋の経営者の理解があったり、加えて開店前から行列に並んでくださるお客様や手書きの礼状をくださった大手銀行の頭取などの声が後押しとなり、成功へと導かれたそうです。

山田節子氏山田さんの発想の原点は、幼い頃の原体験によるものです。

故郷の信州での幼かったある日、近所のお大臣家(お金持ちはお大臣と呼ばれていたそうです)のお婆さんに食器の衣替えを手伝ってくれないかと子ども達が集められます。

それぞれの身体に合った大きさの箱を一つずつ、お婆さんの後に従って蔵へ運び、変わりのものを蔵から持ち出すのですが、お婆さんの「落とさないように気をつけて運びなんしょ」という言葉に大変緊張したそうです。

お手伝いが終わると、お茶室に通され、一人ずつに立派な座布団が用意されていて、目の前にお菓子を入れたおひねりが置かれる、そして、お婆さんは実に丁寧に、昔話を語るように、お茶の淹れ方を教えてくださったそうです。

 そんな素敵な記憶から、銀座の一等地、銀座松屋の一角にお茶室「茶の葉」を作ってしまいます。

今も開設当初のままの設えとサービスで、ゆっくりと時間をかけてお茶を楽しむことが出来るそうです。

山田さんは、自然に寄り添った丁寧な暮らしと道具を大切に継承すると同時に、時代に合った祈りの形を提案されています。

銀座一丁目にある「ギャラリー厨子屋」では、日本を代表するクリエイターと職人のコラボレーションにより、現代の住環境に合った仏壇や仏具、位牌などを扱っています。

昔は「はしたない」とされていた、食べ歩きやラッパ飲み、モノは人の所作を変えてしまいます。

モノは必然があって、求めがあって作られたに違いありませんが、それによって失ったものの大きさを感じずにはいられない、身につまされるお話でした。

お話の間、道徳とけじめのある暮らしの中での教えを想い出し、なんとも清々しい時を過ごすことが出来ました。

9月3日朝食会

(株式会社TWIN 代表 山田節子企画室 主宰)

レポート 幹事 齋藤明美