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5月7日に行われた杉並区西倫理法人会のモーニングセミナーでは、大地を守る会の創業メンバー、らでぃっしゅぼーやの代表などを務められた徳江倫明氏に講話をして頂きました。

最初に

「利益が出なくても必要な仕事や事業がある」

という大きな投げかけをされ、チッソの技術部長であったお父様の話、ご家族の話から、ご自身の半生を語られ、

「市民運動は社会的な問題を発見する」

「市民事業は問題解決のプロセスを事業として展開し、代案提示を具体化し、持続的活動を実現する」

という現在の取り組みを紹介され、最後に

「規模や経済性ではなく、共通の価値で結びつく時代、そこには問題解決型の事業を作ることが出来る大きな可能性がある」と結ばれました。

なかなかお聞きできるような内容ではなく、読み応えがありますので、長文ですがどうぞご一読ください。

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2016年5月7日(土)

杉並区西倫理法人会 第1348回モーニングセミナー

■講 師 : (一社)フードトラストプロジェクト 代表理事 

      徳江 倫明 氏

      http://www.food-trust.jp/

       

■テーマ :『 市民運動の役割と市民事業

       -水俣・有機農業・福島- 』

1 伝えたいこと

こういう言葉を聞いたことがありますか?

(→いずれも半数近くが手をあげる)

   オーガニック

   サステイナブル

   フェアトレード

   エシカル

「エシカル」は今ビジネスの中でも注目されている概念、「倫理的」ということ。

この倫理法人会は創立されて70年と聞き、70年前から倫理的経営をテーマに活動をしてこられたことに敬意を表したい。

そして、私なりに「今何がエシカルなのか」を少しでもお伝えしたい。

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Wikipediaより「エシカル」

エシカル(ethical)とは、「倫理的」「道徳上」という意味の形容詞である。

近年は、英語圏を中心に倫理的活動を「エシカル(ethical)○○○○」と  表現し、エシカル「倫理的=環境保全や社会貢献」という意味合いが強くなっている。身近な倫理的活動としては、主にエシカルコンシューマリズムが挙げられる。

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2 「利益が出ない会社は社会悪である」という考え方

私は「利益が出ない会社は社会悪だ」という経営者に何人もあってきたが、そのような経営者を好きになれない。

世の中には、「利益が出なくても必要な仕事や事業がある」

あるいは

「出た利益の使い道を考えるということも重要」

と考えている。

たとえば最近は、非営利株式会社というのが出てきた。NPOは非営利団体だが、普通の株式会社でもその利益処分を一定の公益的目的に使う、あるいは再分配しないという定款にすることによって非営利株式会社とすることが出来る。特にEU等で非営利株式会社という形態が少しづつふえてきている。

非営利=営利目的ではない株式会社、ということ。

私は赤字と黒字を行ったり来たりしつつも、まあ10年は続いてきたが、それはそれでいい。継続も力なりである。山あり谷あり、「100年続く」絶妙さもいいのではないか。

(らでぃっしゅぼーやでは、創業から10年、私の退任した年も178億の売上、7-8%の利益を出していた。そうした経験も踏まえての実感だ!)

世間では、今、三菱自動車は最悪、東芝も厳しいだろう。

トヨタは今調子がいい、円安が追い風になっている。しかし2010年ごろには一時1ドル70円台の超円高で、その時にはエコ減税で政府が〈補助〉をして自動車販売や白物家電の販売を後押しした。(事実上は助成金、日本を代表する大企業であっても自助努力だけではない、という例)

「利益が出ないとだめ」は本当なのか?

今は、アメリカ型「株主資本主義」の時代と言える。資本の収益率だけで経営を評価したり、短期的目線で事業を見るのは良くない、と感じている。

3 父と水俣病

父はチッソに勤務していた。チッソといえば水俣病。

チッソは、戦前はいわゆる新興財閥(日窒コンツェルン:日本窒素肥料株式会社はその中心企業→のちにチッソ㈱と改称)で、旧財閥系を凌駕する勢いだった。特に電気化学産業に集中、戦前に北朝鮮にも進出、水豊ダム(80万キロワット=原発一基分に相当)などダムを3つ作り、朝鮮の興南地域に進出していた。父は朝鮮窒素の技術屋だった。

朝鮮にいるときに、長男昌碩(まさひろ)をジフテリヤで亡くした。母はそういうことが起こりうるということで、日本から血清を3本持参しており、近所で病気になった子供に1本2本と譲りながらも、3本目は自分の息子のためにととってあったのが、隣の子供が病気になってしまう。父は母に3本目を隣の子にあげるように指示し、母は(自分の子供のことを考え本意ではなかったが)父の姿勢に負け、隣に血清をあげた。ところがその翌日に長男がジフテリヤを発病し、血清がなく亡くなってしまう。そのことが夫婦の間の大きな溝になってしまったという。

敗戦により一家は水俣に引き上げた。

水俣周辺はもともと水源が豊富であり発電に好適、日本窒素肥料はここで電気化学事業を進めていった。朝鮮から命からがら引き上げてきた社員を、経済を度外視して引き受けていく。まさに共同体的に復活を遂げていく。

そして、傾斜生産という政策により、日本は造船や重化学工場に重点を置き、いわば官民一体で国策事業を振興した。日本窒素肥料株式会社も国策企業のひとつだった。

日本窒素肥料は戦後財閥解体により、積水、旭化成などにわかれていく。私は水俣で生まれ、9歳の時に東京に移っている。

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Wikipediaより抜粋

水俣病

日本の化学工業会社のチッソの熊本県水俣市にある水俣工場が水俣湾に流した廃液による水銀汚染の食物連鎖で起きた公害病。環境汚染の食物連鎖で起きた人類史上最初の病気である。1956年(昭和31年)に発生が確認された。

1959年7月に有機水銀説が熊本大学や厚生省食品衛生調査会から出された。

日本で水俣病とされる病気が集団発生した例は過去に2回ある。そのうちの一つは、新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場が、アセトアルデヒドの生産に触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀)から発生したとするメチル水銀である。アセトアルデヒドは、アセチレンを希硫酸溶液に吹き込み、触媒下で水と反応させることにより生産される。工場は触媒の反応過程で副生されたアルキル水銀化合物(主として塩化メチル水銀)を排水とし、特に1950年代から60年代にかけて水俣湾(八代海)にほぼ未処理のまま多量に廃棄した。そのため、魚にメチル水銀の生体濃縮が起こり、これを日常的に多量に摂取した沿岸部住民等への被害が発生した。

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公害対策基本法は、日本の4大公害病である水俣病、第二水俣病(新潟水俣病)、四日市ぜんそく、イタイイタイ病の発生を受け制定された公害対策に関する日本の基本法である。 1967年施行。

→1993年環境基本法施行に伴い統合され廃止された。

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今年は水俣病から60年の節目の年、私自身は、水俣は「環境」で生まれ変わるしかないと考え、18年ほど前、I SO4001(環境マネジメントシステム)の導入を水俣市に勧め、その後取得につながったという経緯もある。

公害対策基本法は1993年に環境基本法に変わった。

公害は犯人が特定できクリヤーだが、環境問題は被害者=加害者という構造がある。

チッソは国策企業として国に支えられてきた。父はそこで技術部長をやり、製造工程に関わっていた。

水俣病裁判ではチッソの当時の社長、工場長が被告となり、技術部長であった父も証人喚問に立たされていた。私が高校2,3年から大学に至るまで、頻繁にテレビに出て頭を下げていた。

NHK出版の『NHKスペシャル 戦後50年その時日本は〈第3巻〉チッソ・水俣工場技術者たちの告白 東大全共闘26年後の証言』という本にも、熊本大学と渡り合ったチッソ側の責任者として、父が出てくる。

血清のエピソードからも感じて頂けるように、明治生まれの、固く、正義感の強い人間だった。そういう人がソシキの中に入ると、ソシキを守る側に立つということ。それを後押しする「時代の価値観」というものもある。経済成長こそ最優先の時代である。

「人は過ちを犯しうる」。それは技術的なことも含まれるが、それが人というもの。

ソシキを守る、という立場から誤ることもある。

4 水俣から福島へ。

東電も国策企業で、エリート集団であり、その中だけでコミュニティを作っていたと思う。というのも、水俣はチッソ城下町であり、社宅が三段階に分かれていた。私の住んでいた上層部の社宅、一般の社員の社宅…という風に。社宅の中は水俣であって水俣ではなかった。

福島にもきっと社宅があっただろう。でもそれは地域社会と交わることなく、その中だけで完結していたムラではなかったか。

そこにいるのはソシキを守る人で、それが日本型企業を作ってきた。

経済成長を優先してきた社会、水俣の患者支援組織では、それを「チッソ型社会」と呼んだ。

誰でもその立場に立つ可能性がある(ムラの一員としてソシキを守る立場)それを前提にして、「そうならないソシキ」を作れるか、が自分にとっての大命題で、それが大地を守る会やらでぃっしゅぼーやへ向かっていった一つのきっかけだったと思う。

しかし福島の原発事故と東電の対応、さらに現在の政治のありようを見る限り、水俣病から60年、何も変わっていないと思わざるを得ない。

5 市民運動から市民事業への歩み

チッソは戦後復興の最先端だったのが、一日でひっくり返って公害の加害者になった。

父は裁判後すぐに退職し、社会から離れ隠遁生活を送った。

それが父なりのけじめのつけ方だったと思う。

大学卒業後、就職を考えた時、農業を志した。山梨の韮崎に行き、仲間と養豚をやった。当時密飼いによる病気の発生で抗生物質、早く成長させるためのホルモン剤の使用などが問題になり、豚の生理にあった、ノンストレスの飼い方として放し飼いの養豚(放牧豚)に挑戦した。

しかし、放牧豚に限らず、有機農業でも特別な生産にはそれを理解してくれる消費者がいないと生産の継続性が保てない。自分は生産より販売に向いていると思い、生産を離れて販売にむかった。

時代は、農薬や化学肥料を多投する農業が問題になっていたころで、有吉佐和子の『複合汚染』などが社会に衝撃を与えていた。

農業のイメージは、「癒し」「自然との調和」といった“良いもの”として語られるが実は

「農業は最大の環境破壊システムである」というのが私の考え。

日本は耕作地が13%、森林を合わせると8割くらいになるが、その多くの部分にヘリコプターによる農薬の空中散布をやってきた。日本は長い間、単位面積当たりの農薬使用量は世界一を続けてきた。水俣でも有機塩素系や水銀系の殺虫剤がまかれ始めていた。小さい頃、川で遊ぶのが常だったが、小学校に入って間もなくだと思うが、田植えがおわり殺虫剤がまかれると赤い旗が立ち、川で泳ぐことが禁止された。翌年には市営プールが出来、皆プールに行くようになった。そして徐々にプールという文化に慣れ親しんでいくことになる。

先ほど言ったように、OECDの統計で日本は2007年まで単位面積当たりの農薬使用量が世界一だった。今は中国が世界一である。農薬使用量一つをとっても経済発展の流れの典型であり、日本もかつて辿った道。一般の暮らし向きがよくなり、豊かになって行く、それと軌を一にして農薬の使用量も増大していく。

水俣病の原因が、チッソが海に排出した水銀と特定されて以来、水俣では漁が禁止され、沿岸の被害者は海で生計を立てられなくなった。そして漁師が山にあがり、甘夏をつくりはじめた。農薬や化学肥料の使用をやめ、無農薬でつくりはじめ、生協や大地を守る会など多くの団体が支援した。

寄付ではなく、漁師が生計を立てる、経済的自立をする」これを支援することが重要だと思った。

私が水俣へ行ったとき、魚の問題を大いに考えさせられた。畑はそこで農薬を使わなければ無農薬栽培と言える。しかし魚には境界線がない。本当に環境問題を考えるなら野菜より魚のほうが「考える素材」になる。安全な魚を実現するには、海という環境そのものを守らなければならない。すべての人が加害者であり、被害者でもある。そして大地を守る会では「魚を売ろう」ということになった。なぜ大地がサカナ?と言われたが、「本当に安全な魚とは?」を考え、きちんと対応すること、また考えるきっかけを提供することが必要だと考えたからだ。

※農薬の流れ

有機塩素系農薬  → 有機リン系農薬 →ネオニコチノイド農薬

有機水銀系農薬

毒性が指摘されて、次の段階、次の段階へと移り、今はネオニコチノイド。毒性が低いとされるが、神経伝達系への影響が大きい(ミツバチ崩壊の問題もある)。

社会的問題を解決する→いろんなビジネスの芽がそこにある。気づいて実践することが大事。

「利益を出さない企業」もあるということ。

そもそも公が税金を使って何かする、というのは、“利益を度外視してもやらないといけないこと”をやっている。国が必要に応じてやることが政策であり、政治。それなら、民間でその問題解決を事業化することもあってよいのではないか。

例えば、有機農業を広げる=農薬や化学肥料を減らすこと。
(農薬や化学肥料の良さ、利点もあるが、使い過ぎは大きな負の面を作り出す。)

利害得失から離れることが第三者性、「市民の目」を作る。第三者性の視点から社会的問題を発見していくのが市民運動の役割、そしてその問題の解決を目指す事業を市民事業と名付けた。有機農業を広げる事業は農薬や化学肥料を減らし、環境汚染をなくす、一つの問題解決型の事業だ。

――市民運動は社会的な問題を発見する

――市民事業は問題解決のプロセスを事業として展開し、代案提示を具体化し、持続的活動を実現する。

と考えてきた。

6 区別と置き換え

パタゴニアという企業がある。らでぃっしゅぼーやと同時期に出てきて、リサイクルしたペットボトルからフリースを作るなど、環境問題に取り組む企業として華々しく世に出てきた。

そのように、世の中の問題解決を事業化して成功している例は、実は多々ある。

1993年に創った表【資料 市民事業マトリクス】がある。

問題点を分析し、環境負荷の大きいものと小さいものを区別し、→大きいものから小さいものに置き換えていく。現状に問題があればそれを解決する事業代案提案していくことが重要だと思う。

7 次の時代に

「オーガニックをどう広げるのか」。今が最大のチャンスではないかと感じている。

今年、11月18・19日に有楽町国際ホールで行う「オーガニックライフスタイルEXPO」もその一つの試みで、テーマはオーガニックとともに、エシカル、フェアトレード、サスティナビリティ、ローカル、アニマルウェルフェア、生物多様性というテーマとも連携する。これらは時代の最先端の事業コンセプトにもなっている。例えば、サスティナブルは持続可能性で、ロンドンオリンピック以来、オリンピックの食材調達基準は持続可能な生産によるものでなければ、採用されない。フェアトレードも重視される。作る人を搾取しないということがルールだ。

エシカルな事業はいくらもあるし、発想することが出来る。

それを発見し事業化すること、その手法を若い世代に伝えていくことが自分の役割ではないかと思う。

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<質疑応答から>

●マーケットインとプロダクトアウトの真ん中

私は「消費者はわがまま」であり、マーケットインが100%ではないと思っている。

マーケットインとプロダクトアウトの真ん中に答えがあると考えている。

それは生産側と顧客側が「お互いを知ろうとする仕組み」に解があるように思う。

私は「消費者ニーズの落とし穴」という表現をよく使う。販売者は、都合が悪くなるとすべてを消費者ニーズのせいにする。「ほんとにそう?」と疑うことも必要。むしろ生産側より販売者が「エシカル」ということを考える必要がある。「売れても売ってはいけないもの」もあるのだ。

「お客様にならないで」とらでぃっしゅぼーやではメッセージした。

お客様ではない、一緒に有機農業を広げ問題解決をする“パートナー”というスタンスで取り組んできた。

そのプロセスでは、消費者に“理解してもらう”、あるいは“理解させる”ということも必要な場面がある。

そのためには「売る」のではなく「伝える」こと。

それを店舗でやっているのが、最近メディアでも取り上げられる福島屋というスーパー(羽村が拠点、六本木1丁目にも店舗あり)

●「参加と共感」がキーワード

サービスではない。売り手と買い手の間に、買い手の共感と参加したいというモチベーションが必要。そのための「場」づくりと「仕組み」づくりが重要。

これからのマーケットは

→アンスケーリング(スケール=規模を追わない)

事業には、仕組みとお金が必要

人と時間も必要

ネットで、双方向で情報を手渡せる時代になった、

らでぃっしゅぼーやの時は情報伝達に膨大なエネルギーとコスト要した。コミュニケーションのために本まで作った。しかし今はネットのおかげでコストをかけずに情報が手渡せ、顧客のグルーピングが比較的容易にできる。

●提携

日本の有機農業は、生産者と消費者が直接お付き合いする「提携」というスタイルから始まった。小川町の霜里農場の金子美登さんがずっと実践してきたことであり、金子さんはプライスをつけず、「お礼制」の経済を実践している。

提携が、今新しい形で受け入れられていくのではないか、とも考える。

有機農業運動が始まった時代にとられた、生産者と消費者の関係作り、情報の交換方法、野菜のやり取りの方法など、多くが今風にアレンジされ、インターネットの活用により、最先端の方法としてよみがえりつつある。

昔より、今のほうが、共通の価値観を持った人たちのコミュニティが容易に作れる時代である。規模や経済性ではなく、共通の価値で結びつく時代、そこには問題解決型の事業を作ることが出来る大きな可能性がある。

参考【資料 日本に有機農業が始まった背景と展開】

(一般社団法人フードトラストプロジェクト 代表理事)

レポート:幹事 福田恵美