1603051 日本の農業について

基本的な数字を挙げます。
1)42万ヘクタール:耕作放棄地の面積(富山県、福井県、石川県とほぼ同じ大きさ)
2)39%:食料自給率(カロリーベース:炭水化物の自給率をあらわし、米・麦・大豆・トウモロコシ・蕎麦・ジャガイモ等)
3)69歳:農家の平均年齢 (たとえば能登はすでに80歳を超えている)
→10年後を考えると、就農者数は大幅減少が予想される

日本の食糧自給率は1965年(昭和40年)73%→2003年(平成15年)39%
米の1人あたり年間消費量は112kg→62kg

農林水産庁の食糧輸出目標は
現在5000億円→1兆円を目指す

2 金沢大地について

(1)農業って?
金沢大地は現在約200ha、能登の耕作放棄地の再生にも力を入れ、最初8haからスタート
し、今では50haあります。

農業って何だろう?=「耕すこと」です。
漢字の「農」という字は 上が「林」、下は二枚貝の角、これを道具に山野を開き耕すこと
が「農」です。

参考:
白川静「常用字解」より
会意。金文の字形は田と辰を組み合わせた形。辰は蛤などの
貝が足を出して動かしている形。その貝の貝殻を打ち欠いて
木の先につけた農具(蜃器)で田を耕すことを農という。
甲骨文字は林・森と辰とを組み合わせた形で、蜃器で林野を
切り開くの意味となる。田の形が誤って曲となり、農の形と
なったのであろう。金文の「令鼎」に「耤農」という語があ
り、神へのお供え物を作る神田の共同制作の意味である。
農は、たがやす、農耕の意味に用いる。蜃器の辰を手(寸)
に持つ形が辱で、草切る(雑草を取り除く)の意味となる。
農耕のことは草切ることから始めた。

西洋では、
agriculture: アグロス=土地、畑 + カルチャー=耕す
つまり、洋の東西を問わず、農業は「耕す」という意味なのです。

農業の歴史は、日本ではb.c.400頃、弥生時代から始まったといわれ、
西洋ではb.c.9000頃と言われています。古くからある産業です。

衣食住を考えても
衣:桑を育て蚕で絹を得る 綿 麻 ひつじ(ウール)→農からはじまる
食:農
住:楮みつまたで和紙を作り、障子や襖を作る
いぐさを育て畳をつくる
かやぶき屋根の家の屋根も植物→農からはじまる

という風に、衣食住はすべて農からはじまっています。

農業と産業
・第一次産業とよばれる
・最近では6次化と盛んに言われる
農業の六次産業とは=1次+2次+3次 サービス業まで含めたことを6次化
1次×2次×3次の掛け算とも言われる
農という本来に戻っていくことでもある

(2)アグリビジネスの魅力と可能性

・私は約20年前に脱サラして就農しました。1997年のことで、当時は「もの→心」への転換の時代と言われました。
・キーワードは「自然回帰」、希望に満ちた職業だと感じての就農でした。
・就農時は水田10ha+畑30ha=40haで、年商3000万、米麦大豆からのスタートでした。就農時に描いた設計図がありますが、ここの最初のごくわずかからスタートし、20年を経た現在、設計図にあることはほぼ何らかの形で達成しています。
・農業には可能性があり、ビジネスチャンスがあります。私は3000万から現在年商5億まで伸ばしました。
・金沢大地は「1000年産業を目指して」を理念に掲げています。未来永劫継続できる産業だと思っています。その中でも環境保全型農業、有機農業の普及を目指しています。

・現在、約50種の作物を植え、有機転換し、豆腐と味噌の加工を行い、耕作放棄地を再生しています。生協や百貨店へも納めています。
・2010年には、サッカーの中田氏も畑に来てくれました。
http://nakata.net/rnp/area/7317/
・昨年は秋の園遊会にお招きいただき、妻と伺いました。
→という風に、農業をやっていても、すごいことはいろいろおこります。

(3)河北潟での農業

・参考:河北潟(かほくがた) 日本大百科全書(ニッポニカより)

石川県中央部にある潟湖。金沢市、河北郡津幡(つばた)町、
かほく市、内灘(うちなだ)町に接する。干拓前の面積21.6
平方キロメートル、最大深度2.0メートル。西側に内灘砂丘
が発達し、浅野、金腐(かなくさり)、森下(もりもと)、津幡、
宇ノ気川などが流入し、大野川で日本海に排水する。かつて
潟漁業のほか、河口の大野港から舟運が発達し、大雨時はよ
く周辺水田に冠水し被害を与えた。幕末の銭屋五兵衛(ぜにや
ごへえ)の埋立て事件で知られるが、1971年(昭和46)農林
省(現農林水産省)によりほぼ3分の2が干陸され、畑作、
酪農が営まれている。砂丘を切り放水路ができ、現在面積は4.1
平方キロメートル、延長15キロメートル、最大深度5.4メー
トルで、釣り、ヨット、貯木場などに利用されている。
[矢ヶ崎孝雄]

・河北潟は昔は漁業が盛んだった。1971年干拓がはじまり、井村(父)は漁業権を売って米を作ることにしたのですが、その後減反政策が始まりました。
1970年代前半には農薬被害が見られ、農業が変わって行き、地域の水田に死んだ魚が浮かび、八田ミミズが死ぬという状況を、私は身近で見てきました。

1997年に私は就農するのですが、最初からエコファーマー、環境保全型農業を目指しました。
有機認証を取得した最初の農家となり、2009年にはドイツ・ニュルンベルグで行われる世界最大のオーガニック見本市、ビオファにも出展をし、米欧への輸出にも取り組んでいます。それらは、後に続く人たちの先進例になっていると思っています。

グリーンツーリズムもはじめ、能登で古民家を使った農家民宿をはじめ、子供たちも受け入れています。風土は文化の源であるということを実感しています。
2014年には農林水産省の「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」にも選定されました。
有機小麦を栽培していますが、それを挽く石臼の輸入販売も始め、安心して食べられる有機玄麦を自分で挽いてパンやお菓子を作れるようにしています。

(4)最後に

日本の農業の根幹は水田。水田は大昔からの灌漑技術の発達と灌漑施設の整備によって成り立っています。水田での米は唯一連作障害のない作物で、同じ場所で毎年作り続けることが出来ます。
これから地球規模で水の取り合いになります。アメリカもオーストラリアも水の争奪戦が起こっており、その意味で、米・穀物に関しては、実は日本は水田の完備されたこの環境が強い競争力の源になる。本当は、日本は穀物供給に関して大変優位性があるのです。今後税金を使って水田を保持していくのかどうか、その判断が重要ですが、日本の農業力は国際的にみても強くなる、ということを思っています。

 

(金沢農業 代表/株式会社金沢大地 代表)

レポート:幹事 福田恵美