150523a昭和31年 山形県最上郡最上町  松林寺の御長男として生まれる。

お寺の長男として生まれたが、「なんでお寺に生まれたのだろうと、とても嫌だ」!と恨みながら成長していった。
また、檀家さんの期待がとてもプレッシャーと、お寺はお葬式や法事によって生業をたてているので仕方が無いのだけど、「人が死ぬのを待っている仕事」だと思い込んでしまい、「そんな仕事はいやだ!」と思っていた。

ただ、気持ち的には抵抗しているのだけど、どうしても家を出ていくことが出来なかった。
なぜなら、住職の父が亡くなると、母は生計をたてることが出来なくなるということ。
自分が跡を継げば、父が亡くなっても自分と一緒に生計をたてることが出来る。

結局、大学の仏教学部に入学することになる。
ほとんど仏教学部の人たちとはかかわりを持つことがなかったのですが、カンボジア難民のボランティアにお坊さんの仕事として参加することに。

ボランティアに参加して初めて、お坊さんってとても素晴らしい仕事なのだ! と気が付く。
お坊さんとして生きて行こう! と覚悟を決めました。

●人は自分の生まれ(両親・性別・環境)は選べない →「置かれた状況に覚悟をもてるかどうか!」

『命の所有権』とは、私の体は何ひとつ私のいうことを聞いてくれない。
どういう意味か→心臓・肺等の内臓などはいつも常に動いている。
私の体を生かしているのは私ではないということである。
よって、私の命は所有権として、私が預かっているということである。

『使用権』とは、この預かっている体を、この命を何につかうか!
仏様のようになることも出来るし、泥棒となることも出来る。
何者になるか、使用するのかは自分で選べる ということである。

いつでもどこでも平気に生きていくこと。
平気=すべて真正面から受け入れていくこと=仏の姿
雨なら雨の中でどう生きるか。
雪なら雪の中でどう生きるか。

その知恵を教えていただけるのが仏教であった。

それが理解できたとき、三部住職は
【いただいたこの命、精一杯活かしていこうと覚悟を決めた】

ご住職から提案として、『自分の命(寿命)に自ら「私の寿命はいつまでか」と想定してみるといい。命に限りがあるということを通して、今を生きることの大切さを知ることが出来るかもしれませんよ』と。

仏教の教えに【四正断】というものがある。
(1)まだ起きていない≪悪≫は起こさぬよう心掛けること。
(2)起きてしまった≪悪≫は二度と起こさぬよう心掛けること。
(3)まだ起きていない≪善≫は起こすこと。
(4)すでに起こった≪善≫はもっともっと起こしていこう。

150523b座禅は、悩みがあると前屈みになる。
背筋をピンとしたら、体もまっすぐに、体がまっすぐになれば、心もまっすぐになる というのだ。
だから、背筋をピンと伸ばしまっすぐに平気に生きていくことがとても大切なのです。

三部住職の講話を聞き、心に残ったこと

●何ひとつ自分の意志で生まれも寿命も決めることは出来ない。ならば自分はこの命を使ってどのように生きるか!

自分の覚悟ひとつで、どのような生き方も出来るということ。

『宿命』と『運命』の違いを教えていただきました。

背筋をピンと伸ばしまっすぐに生きて行こうと思いました。

今の自分にとても必要な教えをいただき、本当に心より感謝いたします。
ありがとうございました。

(山形県最上郡最上町 松林寺住職)

レポート:副専任幹事 忰山舞