出会いの始まり

長崎県平戸市で育った日高新作講師は、中学生の時に人生で初めて大きな出来事に出会いました。
地元の中学校と言っても、その通学距離は子供の足で通えるものではなく、途中までバスを利用し、それでもバス停からまた30分ほど歩かなければいけませんでした。これは日高講師だけではなく、同じような生徒がたくさんいました。学校ではバス通学する生徒さんの定期代を集めて、まとめて定期券を購入していたそうですが、日高講師がその定期代を集める担当になった時に、その後の人生を変える大きな出来事に出会いました。
集めたお金を風呂敷に入れて叔父さんが運転するバイクに乗った日高講師でしたが、あろうことかバイクで走っている最中に風呂敷包みがほどけて入れていた大事なお金をばら撒いてしまいました。
当然皆んなから集めたお金はほとんど残らず、泣く泣く両親や親戚に頼み込んで立て替えてもらいました。このことから、地元の高校に進学を希望していた日高講師でしたがそれが叶えることができませんでした。
今思えば、このことが無ければ今の自分はいないわけですから、これも人生における大事な出会いであると日高講師は言います。

日高講師が生まれ育ったところは、古くから封建思想が根強く、家長はもちろんですが何をするにも男性が優先されるという土地柄でした。
加えて日高講師の家系は宗教を重んじ、しきたりだけでなく「日日是好日」といった現在学んでいる倫理でも教えている考え方が徹底されていました。
大人たちは子供たちが起きる前から一仕事をし、夜も遅くまで働く。「働かざる者食うべからず」の教えのまま、子供達にも家畜の世話などの仕事がちゃんとありました。でも、子供達は親の背中を見て育っているので働くことを何ら苦に感じず、当たり前に喜んで働いていたと日高講師は言います。
さらに、行事があるたびに一族が集まり、何をするにも家族が協力し合うという絆の深い関係の中で育ったので、今でも家族はもとより親戚との付き合いも頻繁に行われているということです。
最近も叔父さんが来てくれたので家族共々8人で旅行にでかけたと、日高講師は嬉しそうに話してくれました。こういった家族親戚一同が集まって大勢での旅行に行く、それも日高講師が皆んなを連れて行くということです。これは今の自分がいるのは家族のお陰であり、現在も実家に今もご健在のお母さんのことを見てくれている家族親戚に対する「当然のお返し」であり、「これぐらいしかできない」ということでした。

様々な出会い

学生時代はやはり恩師との出会いがその後の人生を大きく変えてくれました。
相撲やマラソンなど好きな運動で汗を流しながら、先生には体だけでなく心も大きくしてもらいました。
特に、そのバスの定期代を無くした時には、「志を持って生きろ」と言われ、名古屋の夜間高校と就職先を紹介してくださったのですが、これが人生の大きな転機になったことは言うまでもありません。

名古屋の学校を卒業後は上京し24歳で独立した日高講師ですが、当時一番苦労をかけたのは奥様だということです。
若干20歳の奥様に仕事においては事務経理面で、家庭においては家事と子育てを任せてきました。「いい加減なところがある」という日高講師は、仕事上でも幾度も失敗をして、多額の赤字をつくったこともありましたが、それをうまく切り盛りしてくれたのが奥様でした。
子育てに関しては任せっきりで、子供の運動会など学校行事には一度も行ったことがない。自分は何もしてこなかったのに奥様が立派に育ててくれたおかげで、今はその息子さんが会社を継いでくれています。だからこそ、奥様が人生で一番大きな出会いだったということです。

仕事上では仕入先さんとの出会いがありました。
それまで下請けの仕事をしていたところ、元請けの仕事をすることになり初めて材料の仕入れをするという時、ある通信機材の会社に仕入れのお願いに行きました。まとまった額の仕入れですから、最初から簡単にツケ払いを許してくれるところはありません。その会社も最初は渋っていましたが、日高講師が頼み込んで仕入れさせてもらうことができました。
それ以来、日高講師が経営をしている間は他からは一切仕入れず、その会社だけと取引をしてきました。その会社が商社に事業を売却し、その社長さんから「もう良いですよ」ということを言われるまでの20年間は、どんなに安い価格で営業されても他の会社に「浮気」することはしなかったということです。名前が変わった現在でも元の会社の方とは取引をしているということでした。

また、得意先においても大きな出会いがありました。
テレビ電波のインフラの仕事をしているので、国営放送局からの仕事を大手企業の下請けとして取り組んできましたが、その元請けだった会社が倒産することで日高講師の会社が直接取引きすることになりました。
国営放送局の職員の方とコミュニケーションを図る上で、普通は上役の方と関係づくりをしますが、日高講師は上下関係なく、むしろ将来的なことを考えて新入社員さんの面倒も見てあげました。
数年後にその人たちが肩書きを持ち、全国に配属されると、その人たちから全国から声がかかるようになり、会社も大きく伸びることができました。

心が運命の出会いに変える

日高講師は東村山市倫理法人会の初代会長です。
高嶋民生法人アドバイザーが杉並区西の会長をされていた時、東京都倫理法人会の普及委員長もされており、東村山市に新しく単会を設立させるために会員を集めました。ところが、いざ設立という段階になって、集まった方が皆初めての方ばかりだったので会長がいない、ということになりました。そこで白羽の矢が立ったのが日高講師でした。 設立の2日前に高嶋さんから連絡を受けた日高講師は戸惑いながらも引き受けました。
そして杉並区西から行く以上は杉並区西を抜くという目標を持って取り組みました。初めての方ばかりなので大変だったはずですが、「楽しくなければ倫理じゃない」という思いから特にそれぞれの役員の方に合わせた付き合い、ゴルフや宴会、旅行など楽しみを共有しながら関係を築き、一年後には無事に107名で正単会としてスタートしました。

最後に日高講師は、これまでの出会いに感謝しながら、出会いについて教えてくれました。 出会いというのは人や物あるいは場所に行ったという物理的な出来事だけを指すのではない。その物事に遭遇した時に感動したり気づいたり、閃いたり、自分の心が動かされて初めて「出会い」となる。しかし出会いは自分の意思とは無関係に起こることだから、出会いこそが「運命」だと言えるし、その出会いを生かすも殺すも自分次第であるから「運命自招」なのだということでした。


[講師プロフィール]

一般社団法人倫理研究所 法人アドバイザー
アイシン共聴株式会社 代表取締役会長
日高 新作

昭和22年 4月12日  平戸市生まれ
昭和46年 4月    日高通信設立
昭和53年 7月    アイシン共聴開発(株)
昭和61年10月    さいたま市営業所
平成 3年 9月    千葉営業所
平成 9年 6月    五反田営業所
平成9年4月      杉並区倫理法人会 入会
平成14年8月    東村山市準 入会
平成15年7月    東村山市正法人会設立
平成16年9月    東京都副幹事長
平成17年6月    小平市開設委員長
平成18年7月    新宿区準開設副委員長
平成21年9月    東京都倫理法人会会長
平成23年9月    東京都倫理法人会相談役