入会していきなりの試練

今回講師の山﨑清教さんは倫理歴12年、東京都の役員にも就任され、現在は西部ブロック長を務められています。
最初に過去を振り返りながら、倫理に入って大きく変わったご自身のことをお話していただきました。

知り合いの方から良い勉強会があるということで倫理を紹介された山﨑さんは、入会前に色々な単会を数多く回られました。それは、入会するなら元気の良い単会のほうが良いと言われたからでした。
実際いくつもの単会を回ってみて思ったことは、同じ倫理法人会でも単会によってかなり違いがあるということでした。確かに、モーニングセミナーでも何十人も参加して活気のある会もあれば10人も満たないようなところもありました。
最終的に山﨑さんが入会することを決めたのは、その当時数が少なく元気のなかった立川でした。元気の良い会のほうが良いのはわかっていましたが、立川に会社がある山﨑さんは「地元に貢献したい」と思い入会を決めました。

入会するとすぐに事務長をすることになり、3ヶ月後には前任の会長が他会の会長やるからということで山﨑さんにいきなり大役が回ってきました。会長を引き受けたのは良かったのですが、当時28社しかいない立川にとっては、ホテルでのモーニングセミナーは明らかに会員が少なすぎたため、会場費用を捻出するのも大変で、とにかくまず人を集めることに力を注ぎました。
その後3年間会長をした山﨑さんでしたが、3年続けられたのは奥様の協力があったからだと言います。人数が少なくお金がなかったので、一人で何役もの仕事をしなければならず、でも一人では限界があると考えて、山﨑さんは奥様に事情を話しました。すると協力をしてくれることとなり、受付や事務局の仕事などを手伝ってくれました。奥様の協力が無かったら、恐らく1年ほどで辞めていただろうと、奥様への感謝の気持ちとともに話されました。

父親との確執に気づく

入会当初にかなり苦労をされた山﨑さんでしたが、倫理を学ぶまでは我儘で頑固な経営者だったということです。それに加えて感情をまったく表に出さない、というよりも感性に乏しく、何事も理性的にしか行動や言動が表れないという性格だったそうです。
あまりにも感性が低すぎることを心配した奥様は一度診てもらったほうがいいと「催眠療法」を受けることにしました。退行催眠といって、催眠状態にして心の中のトラウマなどを見つけようとしました。
出てきたのは、子供の山﨑さんが低い目線からお父様を見上げるというものでした。特徴的なのが、お父様の顔が無いというもので、深い意味はわからなかったものの、少なからずお父さんとの間に確執があることを感じる結果となりました。

山﨑さんのお父様は大正14年の生まれで、太平洋戦争真っ只中で青春時代を生きた方です。17歳で航空学科を卒業し、エンジニアとして立川や横田飛行場に勤めることになりました。終戦後は国鉄に勤めることになったそうですが、仕事柄か時間にとても厳しい方でした。
でも、お父様の記憶は少なく、これも仕事柄勤務時間が不規則なためにキチンと一緒に食事をしたのは「盆・暮れ・正月」ほどしかなく、遊んだ記憶もない。山﨑さんが青年期にさしかかった頃には、たまに会うと「長男なんだからしっかりしろ」ということを言われていました。
反面、接するのはお母様のほうで、お母様の言うことは絶対で、習い事や鍛えるためのボーイスカウトなどお母様が積極的に関わり、山﨑さんもそんなお母様に頼り切っていたそうです。

そのお母様は山﨑さんが25歳の時にがんで亡くなられました。ご臨終の場にご家族とともに呼ばれた山﨑さんは、その直後にお父様からの一言に衝撃を受けました。
「お前は長男なんだから今すぐに家に帰って家を掃除してこい」「今から葬式で親族も集まるから家をキレイにしてこい」
山﨑さんは言われたとおりにしましたが、そのためかあれほど大事なお母様の死を前にしても、お葬式が終わるまで涙が一滴も流れることはありませんでした。そして、お父様も同様にまったく泣くことはありませんでした。当時の心境を振り返った時、山﨑さんは心のどこかでお父様が代わりに亡くなれば良かったとさえ考えたそうです。
そんなお父様でしたが、晩年は認知症を患い、お世話をされた山﨑さんでした。それができたのも倫理で学んだお蔭で、もし倫理を学んでいなかったらお父様のお世話を「長男の嫁なんだから」と言って奥様に押し付けていたかもしれない。それほど深い溝のあったお父様に対して最後にお世話ができたのは倫理のお陰であり、倫理が山﨑さんを大きく変えてくれたということでした。

変わることが父の真意

でも、山﨑さんが変わることができた理由はそれだけではなく、ある出来事がきっかけでした。
仕事も退職し、お母様も亡くなられ、話し相手のいなくなったお父様は山﨑さん達子どもたちに話をするようになりました。それも話すことは「戦争の話」ばかり。会えば戦争のこと、自分が勤めていた立川飛行場がどうであったかなどを何度も繰り返し話をしてきます。
子どもたちが聞き飽きて相手をしてくれなくなると、会う人会う人、例えば宅配業者が家に来ると家に上げて自分の話を聞いてくれるまでハンコを押さない、などといったことにまでになってしまいました。山﨑さん達は「あんな悲惨で生々しい話を聞いて嬉しい人などいない、だから他人に戦争の話をしないでくれ」と伝え、少しでもお父様が戦争の話をし始めると止めに入るようにしました。

そんなある日、お父様あてに一本の電話が入りました。相手は法政大学の社会学科の先生でした。10年前にお父様にお会いして戦時中に書かれた絵日誌を見せてもらったことがあり、それを再度拝見したい、という内容でした。
その頃にはお父様は認知症を患って施設に入所されていましたから、山﨑さんがお父様の荷物を整理して渡してあげることになりました。
普段は滅多に入らないお父様の部屋に入って荷物を整理すると、確かに大学の先生が言われたとおりの絵日誌が200枚、さらに戦時中の資料や当時の使用していたものがたくさん出てきました。改めて大学の先生にそれらを見せると、その貴重な資料の多さに驚き、すぐに立川の教育委員会へ連絡、その後色々なところからお父様への取材や面談の依頼が来ました。
絵日誌は大きく色のついたとてもリアリティのあるもので、絵にあわせて当時の様子が文字で書かれていました。空襲の様子などとても臨場感があるだけでなく、公式に発表されている空襲とは異なる事実などもしっかりと書かれています。

お父様の戦争資料を整理したことで山﨑さんが知らなかった事実も明らかになりました。お父様はお元気だった頃、戦争についての講話を色々なところでされていました。当時の新聞でも紹介されたこともあってその事自体は山﨑さんも知ってはいました。しかし、今回資料を整理していると、その当時の講話の案内チラシが出てきたのですが、その一枚が山﨑さんの目に止まりました。

「今の若者にも平和の大切さを感じて欲しい」

一見するとよくある戦争体験記だと思いますが、お父様の200枚もの絵日誌すべてに目を通していた山﨑さんはあることに気が付きました。
絵日誌は戦争のことだけではなく、お父様の幼少の頃や戦後の国鉄での仕事のことを書かれたものもありました。絵日誌はお父様の人生そのものであり、戦争体験は本当なら明るく楽しい時間を過ごすはずだった青春時代に起こった悲劇でした。
戦争体験を語るお父様の真意を理解した時、講話のタイトルは山﨑さんに向けられていたものだと気づいたのです。

「今の清教にも平和の大切さを感じて欲しい」

それに気づいた時、山﨑さんは涙が止まりませんでした。

倫理を学ぶことで大切なことに気づく

さらに、立川市からそれらの貴重な資料を寄付してもらえないかという相談を受けたため、山﨑さんは確認のために施設にいるお父様に会いに行きました。
その頃は車椅子に乗って、認知症のために話すこともできずうつろな表情をしたお父様でしたが、寄付についての確認をした山﨑さんは初めてお父様の涙を、声を上げて泣くお父様の姿を目の当たりにしました。
その姿を見て山﨑さんは、ようやく息子に自分の真意が伝わったこと、これまでやってきたことを認めてくれた息子に対しての嬉し涙であることを理解しました。

山﨑さんは倫理に入って学んだからこそ、大切なことに気づくことができたと言います。倫理を学んでいなかったら最後までお父様の真意が伝わらず、戦争体験を話していることだけしかわからないままでした。
あれほど理性の塊のような性格だった山﨑さんが、倫理を学ぶことによって気づくこと、感じることができるようになった。
栞に書かれている「ふんわりとやわらかで、何のこだわりも不足もなく、澄みきった張りきった心」で相手に対峙することで、我欲に邪魔されずにお父様の心に触れることができるようになりました。

私たちにも倫理を学んでこの心で感性を磨き、より良い人生を送りましょうとお話して下さいました。
山﨑清教講師、ありがとうございました。