本日の講師は株式会社日本創造教育研究所の杵渕隆さんです。
倫理法人会でも多くの方が利用されている社会人教育の研修会社で、杉並区西でも高嶋民雄さんや井口一与さん、炭屋昭弘さんといった歴代の会長もとても関わりの深い会社です。今回講話をお願いした杵渕隆さんも研修講師として現在も指導に当たられていて、会場ではさながら「同窓会」のようなとても和やかな雰囲気でした。

いつもは決められた研修プログラムに沿って進められるところが、今日はご自身の体験を話すということで少なからず戸惑いながらでしたが、少しずつ本日のテーマである「わが師の恩」についてお話してくださいました。

両親の恩

まず最初に作家の吉川英治の言葉「我以外皆我師也」をあげて、自分以外の人は良い人も悪い人も学ぶべき師であること、人のみならず喜び悲しみ苦難といった物事からも学ぶべきことから、自分の周りのすべてが師であることを述べられました。

その上で、杵渕講師が「我が師」として最初に思い浮かぶのはご両親だということでした。
絵描きであった父親からは、身を粉にして家族のために働くその姿から、働くということを学びました。とても不安定な仕事であり決して裕福ではなかったけれども、一所懸命働いて兄弟全員大学まで通わせてくれた、その立派な姿と大きな恩を感じているということでした。

一方母親からはとても大きく深い愛情を注いでもらったと杵渕講師は言います。物心ついた頃から自分が如何に両親から求められて生まれてきたのかということを聞かされていたのに、本当は一番生活が苦しかった時にできたために父親から堕ろすように言われたという事実を成人してから聞かされ、母の愛情によって生かされた命であることを知りました。けれども、少年時代の杵渕講師はとにかく「やんちゃ」で毎日のように母親がどこかに謝りに行くというほどでした。小学校の通知簿の所見には問題児であることがはっきりと書かれるほどでしたが、杵渕講師のお母さんは気にもとめませんでした。
その後教師の道に進み、荒れた学校で荒れた生徒に出会った杵渕講師は、この時の母親の愛情とわが子のことを信じきることの大切さを知り、恩を感じると共に人生の「師」であると感じたそうです。

誰もが価値ある存在であることを教えてくれた恩師

「やんちゃ」だった少年時代の杵渕講師が大きく変わるきっかけとなる先生と出会ったのは中学2年生の時、担任で国語の先生だったマキノ先生です。実はこの先生も「変わった」先生だったそうで、普通の先生は背広を着て学校で教えますが、マキノ先生はジーパンに長髪という、先生の間でも問題視されていました。マキノ先生がこのような格好でいるのには主張があったからです。それは、人は誰しも価値を持ってこの世に生まれてきた、だから人を見た目で判断してはいけないし、区別してはいけない、それは男女であっても。杵渕講師はこのマキノ先生の教えによって救われたと言います。勉強もできなければ友達もいないという中で唯一の取り柄であった運動を、球技大会などでは活躍する杵渕講師のことをマキノ先生は「お前凄いな!」と言って褒めてくれた。このことから杵渕講師は教師に憧れ、体育教師を目指すことになったのです。
マキノ先生は杵渕講師が卒業後、高校2年生の時に白血病で亡くなられたそうです。でも、杵渕講師はマキノ先生から、人は誰でも価値を持って生まれてきている、だからどんなことでもいいからそれを発揮すればいい、ということを教わりました。優しさ、運動、料理、勉強、絵を描くこと、それらはすべて素晴らしい価値であるということ、そしてその価値を発揮することができれば人生は開けるということを。
そして、夢ができると人は一所懸命頑張るもの、勉強嫌いだった杵渕講師も教師になるために勉強を頑張り日本体育大学に入学しました。

本を正す親の教育

大学を卒業して晴れて教師になった杵渕講師でしたが、中学校を希望し卒業式の日に生徒に囲まれるような教師生活をイメージしていたのに赴任先は荒れまくっている工業高校。同じ生徒に囲まれるにしても教師に反発して睨んでくるというのが現実でした。
当時から不登校やいじめ問題、シンナー中毒といった問題がそこにはありました。でも、家庭訪問を繰り返していくうちに、生徒たちに罪はないことがわかってきた。彼らがそうせざるを得ない、そこに逃げ出してしまうほどいたたまれない事情、家庭がありました。
大人が職場という大変な場に毎日行けるのは家庭という唯一安心して癒やされる場があってこそ。それは子ども達も同じで、毎日周りの評価や嫌われてしまわないかといった不安な場に出かけている。子ども達にとっても家庭は最も安心できる場所であり、唯一自分が出せる場でなければならないのにそうではないとしたら。家に帰っても自分の居場所がない、気を許せる家族もいないとなったら、問題行動やシンナーやドラッグといったものに手を出し身を崩していくことになる。
このことを知った杵渕講師は大人、親の教育の必要性に気づきます。親の教育によって子ども達の未来を築くこと。この使命をもって杵渕講師は次のステップに進むことになります。
杵渕講師が現在の日本創造教育研究所の創業者である田舞徳太郎氏に出会ったのはその研修ではありません。意外なことですが、杵渕講師は日創研の田舞氏の研修を受講し、感動して入社したわけではないということです。杵渕講師が千葉のホテルで開催されていた研修に参加していた時、商工会議所の講演でたまたま同じホテルに来ていた田舞氏と出会ったそうです、それもホテルのトイレで。
トイレで初対面の人に対して田舞氏は「あなたの職業は何ですか?」と尋ねてきたそうです。工業高校の教師であることを伝えると、「工業高校なら問題抱えた生徒さんが多いから大変でしょう」と言う。人の苦労の何がわかるのかという思いでいると、「それは子ども達が悪いんですか? どこに問題があるのですか?」と尋ねてきた。「親です」杵渕講師が即答すると「そうですよね、ならばその親の教育が大事だと思いませんか」と田舞氏は言ってきたのです。そして「ウチに来ませんか?」と。
その後、半年ほどして日創研に入られた杵渕講師ですが、田舞氏に言われたのは「君が子ども達を更生したい気持ちはわかるが、それは自己満足だ。なぜなら、全国には同じように心を痛めている子ども達がたくさんいるからだ。君が教師として子ども達の教育を志すならば、なぜ日本の教育を変えようとしないのか。」
田舞氏からこう言われた杵渕講師は気づきを得て、現在までその思いを持って研修講師として多くの人に関わっています。

ご両親を含めた4人の恩師、ご両親をはじめ2人の恩師との出会いも「不思議な縁」だと杵渕講師はおっしゃっていました。そしてその縁によって得た恩は今研修という形で同じような問題課題を抱える人に「恩送り」しているということでした。

杵渕隆講師、貴重なお話をありがとうございました。